メディア論

おー、分かりやすくていい記事ですね〜。


我思うに、テレビ報道が一方的かつ先入観を持たせがちになってしまうのは、
やはり表面的なことしか扱わないからだろう。
番組キャスターや編集者は現代の社会問題を全て把握してるわけじゃないから、
ニュース自体の内容に具体性が見られないことが多い。
オレも時々環境関連のニュース見てて、低レベルなことやってんな
とくだらなさを覚えることがある。
時には核心のついたような番組もあり、共感を持てるときもあるけど、
そんなの50回ニュースあったら、1,2回くらいしかない。


そして、上辺をまとめたら、今度は専門家のご登場。
ニュースだけでなく、全てに見られるよくありがちなパターンだ。
権威ある者からの見解は客観性があるってか?!
たった一回の報道で、事件の背景・過程にある全てを一概に
すべて語りきれるわけがない。
それで治まるんだったら、世の中の社会問題はこんなに複雑にならない。
それなのに、ニュースは一箇所に丸みこめ、確実性を持たせようとする。


たしかに、分かりやすい。
きっと誰が聞いても分かる。つまり、受けがいい。
しかし、それだけに一般論以前に、問題が局在化しがちだ。
ニュース自体は演出が優れていたとしても、
物事の表裏を伝えきることなんて出来ない。
言わば、事実をただ伝えるだけ。
しかし、それではと言うことであえてコメントを。
NHKに余計な詮索を入れたのが、今の民放だ。
オレは強くそう思う。


そのため、この問題は番組如何ではなく、
テレビというメディア形態そのものに所在すると考える。
事実の追求をするうえでは、制約が多すぎる。
たとえ放送大学であっても、不可能であろう。
具体性の限りをつくし、問題の所在を考えられるだけ見つけなければ、
事実の本質を確実に伝えきることはできない。
また、一人ひとりの考え方が全く異なるように、
出演した数人のコメンテーターの意見だけでは、
多様性がなく、均衡をとることは至難である。
このように、テレビは問題全般を扱えるだけのキャパシティはない。
ゆえに、不可能であると思う。


しかし、現在ではメディア上の問題に一つの解決策が見出されていると考える。
それがネットの普及である。
双方向コミュニケーションが容易になった効用は極めて大きい。
幸いなことに、web1.0からweb2.0への進化は、
情報技術に特化した人間でなくとも、
ネットワークコミュニケーションを簡易にした。
このブログやオサムさんのブログのように、
問題意識を公開する門が広まった。
また、これに対するアウトプットもコメント機能で然りだ。
だが、ネットの産物がすべて良い方向に向かうものでもないのは周知の通りだ。
一概にネットの是非を問うべきではない。


情報伝達の媒体としてのメディアを考える限り、
一つのメディアには一つの特性があり、
全ての媒体を一つにまとめることはできない。
テレビにはテレビの、ネットにはネットの有効性がある。
これらからの情報を発見し、総合的に取り入れ、
自身で物事の本質を考察することが最終的な解決になると思う。


と、また堅苦しい文章になってしもうた。
くそー、こんなことに時間使ってる場合じゃないぞー?!!


いやでも、シャンプー。こういったマスコミに強い問題意識があるならば、
ぜひ伊藤陽一先生の授業を履修するべきだぞ!
番組に期待するのではなく、自身で問題を解決するんだ!
それでこそ、SFC生だ!!!!!


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